稀勢の里の横綱土俵入りの型は? 父母の手記から見えるもの
2018/03/30
更新;稀勢の里が大怪我をしてから1年になったが、この春場所も休場となり苦悩している。
もともと相手の力をまともに受け止めるガチンコ相撲だから、怪我の状態が良く
なったとしても、回復には時間がかかるだろう。
次に出場するときは進退をかけることになるだろうから、十分な稽古を積んで
自信を取り戻してから出場してほしい。
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大相撲の大関稀勢の里が、初場所に14勝1敗で優勝し、横綱への昇進が決まりました。
千秋楽で横綱の白鵬に勝ったのが大きかったと思います。
昨年は年間最多勝に輝いていたので、そのことも評価されたのでしょう。
日本国民が待ち望んでいた横綱が誕生したことで、大相撲界も活気を取り戻していくのではないでしょうか。
そういう意味ではこれから先も稀勢の里は、様々な重圧に耐えなければなりません。
喜びと同時に大変重い地位につくことになり、温かく見守っていきたいと思います。
☆遅咲きの稀勢の里は相撲道に一直線
稀勢の里は1986年7月3日の生まれで30歳ですが、この30歳というのは意識していたのではないでしょうか?
親方だった元師匠の隆の里が、30歳で横綱になったので、今年は必ず横綱昇進を成し遂げたいという気持ちも強かったのでは思います。
初場所の稀勢の里は、表情も普通の冷静な感じで落ち着いていたように見えます。
また優勝インタビューでも、今までの耐え忍んできた気持ちをぐっと堪えていたのが印象的でした。
本当に無骨に相撲に取り組んできたのだなという感じが読み取れました。
☆稀勢の里の横綱土俵入りは何型か?
師匠だった元横綱の隆の里は、土俵入りの型が不知火型でした。
稀勢の里は、雲竜型を希望したそうです。
たぶん師匠を想って、土俵入りの型をどうするか迷ったと思いますが、相撲界に入ったころから雲竜型に憧れを持っていたようなので、雲竜型になったようです。
私も小さい頃から相撲が好きで、遊びは野球か相撲が多かったですが、相撲では大鵬や柏戸が活躍していました。
大鵬も柏戸も雲竜型でしたから、玉の海の不知火型を見たときは珍しかったのを覚えています。
また、北の湖、千代の富士そして現理事長の北勝海も雲竜型でしたね。
現横綱では鶴竜が雲竜型です。
そして白鵬と日馬富士は不知火型で土俵入りしています。
☆稀勢の里の父親と母親が手記
それは父親や母親の手記からも感じ取れますね。
父親はなかなか謙虚で冷静な方のようです。
《スポニチアネックスより引用》
『まずは先代鳴戸親方に感謝しなければなりません。
草葉の陰でさぞかし喜んでくれているのが目に浮かびます。
厳しい教えと薫陶を受け、そのことをしっかり受けとめ精進してきました。
本当にありがとうございました。
(中段省略)
私としては大関のままでケガなく病気にならない体づくりを第一に考え、
好きな相撲を長くやってもらうのが念願でした。
しかしそれではお世話になった人、世間が許してはくれません。
現在の閉塞(へいそく)した時代、日本人としての気概に乏しくなった時代に
伝統文化、様式美を具現化した相撲は、相撲を通じて礼儀、作法、道徳等の
日本の良さを見直し、知らしめるという義務使命があるのではないでしょうか。
また、上に上り詰めたときは自分もしくは家族のためということから手を離れて、
国家のため日本の伝統文化に気概を持って伝承しなければなりません。
さて、これからが大変です。今まで以上に稽古をこなし、自分を律し、
より勉強して名実ともに誰からも模範になるような立派な人間になるよう努力しなければなりません。
そういった意味で「おめでとう」と言うよりはこれからはなお一層頑張らなきゃいけないと思うと気の毒になったというのが本音です。』
とても謙虚な言い方が、地位や名誉よりももっと大切なことは何かを教えてくれます。
我々日本人の心に素直に入ってきますね。
また母親の手記は、子供への本当の気配りを感じます。
《サンケイスポーツより引用》
『優勝が決まった瞬間は、自宅のテレビで夫(貞彦さん)とともにみていました。
画面で一筋の涙が映し出されたとき、私も涙をこらえきれませんでした。
本当におめでとう。
今ここに至ったのは、先代鳴戸親方の教えを守り、忠実に一生懸命に稽古をした結果だと思っております。
本当にありがとうございました。
子供の時から、けがをしにくい丈夫な身体を作るため、しっかりした食事をつくることを心掛けました。
(一部省略)
英才教育といわれそうですが、決してそうではありません。
私たちの生き方、過ごし方がそうでありますから特に気を使ったわけではありません。
こだわったのは旬の食材をつかうこと。
安い牛肉を食べるくらいなら、上等な豚肉を、と心がけました。飲み物は牛乳と麦茶。
清涼飲料水などは飲ませませんでしたから、(一部省略)
食事中はテレビを全くみない家族でした。
「食べるときは、食べることに集中する」という一家だったので、一般のご家庭より時間は早かったと思います。
一生懸命に食べる、という向き合い方はどんな場面にも通じるのかもしれません。
けがをしない病気をしない身体を作り、好きな相撲をできるだけ長く取ってほしい、というのが私の願いでした。
これからも、相撲界の長い歴史、伝統文化を守り受け継ぎ伝承しなければなりません。
そのために自分を捨て、死にものぐるいで今までの精進以上に精進しなければなりません。
大変な役回りではありますが、日本のために頑張ってください。』
愚直に子供の体を気遣う気持ちや、人間として大切なことは何かを教えてくれる手記ですね。
こういうご両親の考え方や生き方は、我々に人生とは何かを考えさせてくれます。
稀勢の里がこれからも愚直に稽古に励み、さらなる高みへと精進してもらいたいと思います。
まだまだ日本の心は、一般の人達の間にちゃんと生きているのだなと思いました。
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