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マラソンの川内優輝の父親母親もスポーツ選手 反骨精神のもとは?

   

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今年(2018年)のボストンマラソンで、市民ランナーの川内優輝選手が優勝という快挙を成し遂げました。

日本人選手としては、瀬古選手が1987年大会で優勝して以来31年ぶりだそうです。

ボストンマラソンは、起伏が激しく30km過ぎの上り坂が心臓破りの丘として有名です。
今回はスタート時点の気温が3.3℃という寒さもあり更に過酷な条件でした。
風も強く、選手達にとっては体感温度がマイナスだったのではないでしょうか。

こういう厳しい環境で優勝したのは、川内選手の持ち前の反骨精神が発揮された良い例だと思います。
この尋常ではない頑張りは、川内選手の魅力でもありますね。

あの瀬古さんも川内優輝選手を絶賛しています。

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☆川内優輝の生い立ち 両親もスポーツ選手

マラソン川内優輝
川内優輝は1987年3月5日生まれですから、今年31歳になりましたね。
マラソン選手は持久力や経験が必要なので、まだまだ第一線で活躍できると思います。
海外勢でも30代の選手は多いですよね。

父親は隠岐の島の出身で、高校時代はアマチュアボクサーとして国体にも出場した経験があるそうです。

大相撲の隠岐の海も個性豊かでマイペースの相撲取りで有名ですが、反骨精神があるという点ではその気質があるかも知れないですね。

母親は、中学・高校時代には800mと1500mの選手だったそうです。
子供達への躾はとても厳しくスパルタ式だかったらしいです。
これもまた勝気の性分を川内優輝は引き継いだのではないでしょうか。

ご両親とも運動系ですから、川内優輝選手はその資質を充分持っているのでしょう。

母親はスパルタ教育で、父親は良き話し相手になっていたようです。

☆川内優輝は快挙の連発 練習方法は?

川内優輝選手は、最強の市民ランナーとして有名になりましたが、埼玉県庁に入り
春日部高等学校定時制の事務職員として働いています。

実業団に入っていないので、練習はどのようにしているのでしょうか。

川内優輝本人は、マラソン出場を「究極の練習」と考えているそうです。
ですからギネスブックに登録されるくらいの出場回数最多記録を持っています。

そして普段の練習は、水曜日と土曜日がメインだそうです。
水曜日はスピード練習として400mや1kmのインターバル走を、土曜日は距離走として
30kmから43kmの走りをしているそうです。
あとの5日間はジョギング走なので、練習時間が少ない分集中しているのではないでしょうか。
究極の練習がマラソン大会出場で、実業団選手が年に1,2回なのに対して、川内優輝選手は
例えば2012年には9回出場したそうです。

体調管理が難しいとは思いますが、実践感覚を養うにはとても良いのではないでしょうか。

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☆川内優輝の粘り強さは一級品 瀬古も絶賛

後半30km過ぎの追い上げが凄いですね。
2017年の世界陸上ロンドン大会では、前半の転倒などのアクシデントで中間地点すぎでは
先頭から脱落し20位前後でしたが、後半30km過ぎてから追い上げ、最終的には日本人トップで総合9位になりました。

また、2016年の福岡国際マラソンでは、練習中に膝を痛めたり競技2日前には左足首をねんざして出場が無理な状態でしたが、周囲の反対を押し切り出場し、積極的に先頭集団についていきました。
そして中間点過ぎに一時トップに立ち、その後も1位エチオピア、2位ケニアの選手に続いて日本人トップの総合3位に入りました。
ゴール後には感極まって泣いてしまったとか。
日本陸連の瀬古利彦マラソン強化プロジェクトリーダーも、
粘りまくってよく3番になってくれた。彼に有難うと言いたい。
川内優輝選手を絶賛していました。

このレースは全国のマラソンファンだけでなく、多くの人達を勇気づけたと思います。

☆川内優輝の反骨精神はどこからくるのか

高校時代の怪我で挫折し、スポーツ有名大学ではなく学習院大学法学部政治学科に進学しています。
政治学科というのが面白いですね。
将来は市民活動に参加して議員になるかも知れませんね。

高校時代の怪我では一旦諦めかけたかも知れない長距離ランナーを、大学に入ってからも諦めずになにくそという気持ちで、箱根駅伝に学連選抜として参加したことにも表れていると思います。
負けず嫌いが強豪大学の選手達にたいする競争心を煽り立てたのではないでしょうか?

そして実業団からの勧誘があったにもかかわらず、それを断って埼玉県庁に入ったのですから
並大抵の反骨精神ではありませんね。
もし実業団に入っていたら、この反骨精神は活かされなかったのではないでしょうか。

私が推測するには、高校時代に怪我が続き故障に悩まされて結果が出ず、強豪大学へ行けなかったのが原点にあるような気がします。
いつか見返してやりたいという気持ちが強かったのではないでしょうか。

また高校3年生の時にお父さんが心筋梗塞で亡くなったそうです。
まだ多感な時期に悲しみを味わっています。
これも今の川内優輝選手の心に相当な影響があったのだと推察します。

川内優輝選手の発言にもいろいろと注目が集まっています。

『僕みたいにスピードが無くても日本人の粘りがあれば、マラソンはやれるんだと証明できた。』

瀬古さんからオファーがあったときに
『僕は指導者に従うつもりはないですし、自由にやりたいです。』
と言って辞退しています。

『マラソンをおまけに考える実業団には負けたくない。』
と挑発的なことも言ってます。
自分を奮い立たせるために言っているような気もしますね。

今回のボストンマラソンでは、
『コースやコンディションを選んでいけば、金メダリストにも勝てることが分かった。』
瀬古さんが最後に優勝した年に僕が生まれたので運命を感じる。表彰台で国旗が揚がったのを見て感動した。

瀬古さんとは師弟関係ではありませんが、何かしら通じ合うものがあるのではないでしょうか。

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