琴奨菊が大関陥落でも相撲をとり続ける理由 嫁さんや子供は?
平成最後の九州場所で勝ち越しを決めた琴奨菊。
前頭9枚目まで下がった今場所でしたが、13日目に勝ち越しました。
大関陥落していつまで相撲を続けられるか心配していましたが、
今場所を見る限り、まだまだ相撲をとれると思いますね。
☆琴奨菊の経歴
琴奨菊は、福岡県柳川市の出身で、1984年1月30日生まれだそうです。
年明けには、もうすぐ35歳ですね。
相撲は小学校の3年生から始めたそうです。
祖父は、柔道の山下泰裕物語に影響を受けたそうで、それを孫にも
させてあげようと実行したわけですね。
祖父が自宅の庭に土俵を作ったそうで、そこで1日2時間稽古をしたり、
隣のグラウンドで100mのタイヤ引きを1時間かけて40本、
そして毎日牛乳を1リットル飲むなどの英才教育を受けたそうです。
普通の子供であれば音を上げてしまい、やめてしまいますよね。
でもそういうノルマについて行ったのですから、本人も相撲が合っていたのでしょう。
またソフトボールもしていたそうで、4番打者の経験もあるそうです。
中学校3年生の時には、中学横綱にもなったそうです。
高校は明徳義塾高校に入り、卒業後に小学生の時から知遇を得ていた佐渡ヶ嶽部屋に入門しています。
☆嫁さんは同郷の人
琴奨菊は、一度辛い経験をしています。
2012年11月場所の番付発表の日に婚約を発表したのですが、3カ月後に婚約解消になりました。
既に披露宴の招待状も出していたので、とても辛かったと思います。
理由は色々あると思いますが、本当のところは当事者しかわかりません。
世の中にはこういうことはよくあることですが、相撲界では、珍しいことですね。
たぶん、あの貴乃花と宮沢りえ以来でしょう。
その後、琴奨菊にも幸せが訪れます。
今のお嫁さんは、スー女と言われる人だったそうで、祐未(ゆみ)さんというそうです。
相撲が好きで、館内アナウンスで琴奨菊が同じ福岡県柳川市出身ということを知り、
琴奨菊に猛アタックしたらしいですね。
今年の7月に松坂屋名古屋店でのトークショーでは、夫人と結婚したいきさつもチラリと話しています。
『嫁の“がぶり寄り”がすごかったです』
こういう話が出来るのも、生活にも余裕が出てきたからではないでしょうか。
嫁さんは学習院大学を卒業して、語学力が凄いそうです。
スウェーデンに4年間も住んだ経験があるそうで、スウェーデン語や英語、ロシア語も話せる才女のようです。
琴奨菊のプロポーズは、自分の成長ストーリーを絵本にしてもらいその中に指輪を挟んで祐未さんに渡したそうです。
なんとも心温まるエピソードですね。
琴奨菊は素晴らしい嫁さんをもらいましたね。
人生は苦しい時もありますが、その次には必ず楽しい時があるということを忘れないで、
毎日やるべきことを淡々とこなしていくことが大切ではないでしょうか。
☆子供と嫁さんが相撲続ける力に
二人の間には、2017年に男の子が誕生しました。
琴奨菊はインタビューに応えて
『家族2人より3人の方が気持ちもぶれないし、もう少し頑張ろうと思う。』
と語っています。
大関から落ちても相撲を続けていけるのは、子供が出来て家族のために頑張る気持ちが大きいですね。
子供の存在は大きいと思います。
私も夫婦喧嘩をよくしますが、最後は子供のことを考えて心を収めます。
子供のことを思う気持ちは、二人とも同じですからね。
これからも困難なことはあると思いますが、素晴らしい嫁さんと協力して、
どこにもない自分たちの家族を作り上げていくことを願っています。