小池百合子氏の都知事選立候補で自民党候補1本化は無理かも
2017/10/24
追加;2017.10.24
希望の党の衆議院選挙結果に、小池百合子代表は、『完敗だった。』と敗北宣言しました。
追加;2017.09.25
小池都知事が、新党『希望の党』の代表になるようです。
解散総選挙が安倍総理が記者会見で明らかにしましたが、いよいよ勝負に出ましたね。
☆小池百合子氏は舛添要一氏のイメージを刷新できるか
追記;小池さんが当選となりました。(2016.7.31)
このところ静かにしていた小池百合子氏が、都知事選挙に立候補することを発表しました。
舛添要一前都知事の問題で、都知事が三代続けて任期途中での退任に追い込まれたため、
自民党は候補者を未だに決めることが出来ずにいます。
その間隙を縫って名乗りをあげた小池百合子さんは、勝負に出たなという感じですね。
自民党関係者には事前通知もなくの出馬宣言だったため、反発も強いようです。小池さんとしては自民党には頼らない覚悟で出馬に踏み切ったのだと思います。
しかし、自民党も有力候補に打診しても断られており、なかなか絞り込むことが出来ていないようです。
週刊誌にまた些細なことで追求されでもしたら大変ですから、立候補に躊躇するのは当然でしょう。
また都知事は首都東京の顔ですから、昔のような官僚統率能力だけでなく、政策発信能力も求められます。
そういう観点からすると、小池百合子さんは上手だなと思います。
舛添前都知事には批判もありますが、それなりに役割を果たしていたのではないでしょうか。
小池百合子氏は舛添要一氏のイメージを刷新することが出来るでしょうか?
☆小池百合子氏の凄いのは常にリーダーの側近にいた政界渡り鳥
小池さんは1952年生まれですから、今年64歳ですね。
お父さんは衣料関係の貿易商をしていて、衆議院選挙にも立候補した経験があるというのは興味深いですね。
政治への関心は、お父さんのそういう血を引いているのでしょう。
政界入りしたのは、1992年の参議院選挙で日本新党から出馬して当選したのが始まりです。
複数の政党から誘いを受けていたのに、それを断って日本新党を選んだのはさすがですね。
その後、衆議院議員になり日本新党党首の細川護煕内閣で総務政務次官になっています。
1994年には、日本新党解党により新進党に移り、今度は小沢一郎の側近になります。
細川内閣のあっけない幕切れには、国民も呆れましたが、時代の流れの先を読む小池百合子氏の変わり身の素早さには驚嘆します。
1990年代は政界の混乱期でしたが、なんと小池氏は巧みな渡り鳥としていつの間にか小泉政権で環境大臣ほかの要職についています。
第一次安倍内閣では防衛大臣につきましたが、事務次官の人事抗争では女性とは思えない強気の姿勢が記憶に残りました。
むしろ過去に縛られない女性だったから出来たのかもしれません。
そして2008年には、福田康夫総裁の辞任に伴う総裁選挙に立候補しました。
自民党では総裁選挙に女性として初めてということで話題になりました。
(以上の経歴はウィキペディアを参考資料にしています。)
☆女性都知事への関心を盛りたてるのは良いこと
さて、今回の立候補表明は、年齢的に見ても小池百合子氏の最後の賭けになると思います。
安倍政権はまだ当分続くでしょうから、このまま黙っていれば、今後の出番は無いと判断したのでしょう。
埋もれてしまう危機感は相当あったのではないでしょうか?
また、都知事立候補者が絞られないうちに先手を打ったのだと思います。
たぶん、自民党公認や推薦を得られなくても、自分が出馬表明すれば、ますます立候補を打診された人も辞退すると踏んだかも知れません。
本当に崖から飛び降りるほどの決断というのはお察しします。
ニュースキャスターで活躍していた時の溌剌とした若さは衰えていますが、チャンスを逃がさないという勝負勘はまだまだ衰えていないようです。
今回の決断がどのように出るかは見物です。
安倍政権も女性の活躍を掲げているので、結局は自民党も推薦せざるを得ないかも知れませんね。
以上、普通の庶民として中立的な立場で個人的な感想を書いてみました。