翁長沖縄県知事が死を目前に心を突き動かしたものは
辺野古移転に反対し沖縄県知事になった翁長知事が、ガンのため67歳にて亡くなりました。
つい先月まで沖縄戦慰霊祭にも出席していたので、まさかこんなに早く逝ってしまうとは思いませんでした。
最後まで辺野古移転阻止に執念を燃やしていましたが、その気持ちを後押しした原点はどこにあったのでしょうか?
1950年生まれなので私と同い年です。
本人は死を覚悟していたでしょうが、やはり残念な気持ちがあったことでしょう。
最後まで信念を貫き行動する姿には、心を打つものがあります。
☆翁長雄志知事は自民党政治家だった
翁長知事は1950年10月2日生まれの67歳。
父親が沖縄県真和志村長を、お兄さんは沖縄県の副知事だったそうです。
政治家一家ということで、もともと政治の世界で育ったようですね。
1950年の6月25日に朝鮮戦争が勃発し、まだ戦争というものが国民の身近に意識されていた時代でした。
そして沖縄はまだアメリカの統治下にありました。
このころはまだ世界は米ソ冷戦状態が深刻な時代でした。
朝鮮戦争後もベトナム戦争があり、沖縄はアメリカの軍事拠点として重要でした。
そのためアメリカ統治下の沖縄には軍事基地が作られ、冷戦体制の前線基地の役割を担っていたと思います。
沖縄の人達には日本が戦争に負けて終戦になった後もまだ戦争が続いているような状態ではなかったでしょうか。
その後ベトナム戦争も泥沼化し、アメリカとしても引き際を考えていたころに、
1970年に総理大臣になった佐藤栄作は、ニクソン大統領との交渉で、1972年に沖縄返還を実現しました。
翁長知事は、1985年から2014年まで那覇市議会議員、沖縄県議会議員、そして那覇市長として
ずっと自民党として活動してきました。
自民党の県連幹事長も務めていたそうです。
しかし2014年に自民党を出て辺野古移設反対を訴えて沖縄県知事に立候補して当選しました。
沖縄県民の本当の気持ちは辺野古移設反対だったということでしょう。
☆翁長知事を突き動かしたものは何か
アメリカ統治を経験し、沖縄返還後も政治家として沖縄のことをじっと見つめてきた翁長知事は、
人生の最後に本当にやりたかったことをしたのだと思います。
それは沖縄をアメリカ軍の基地経済から脱却させて、本来の沖縄の良さを活かした経済を目指したかったのではないかと思います。
戦後73年も経過したのに、依然としてアメリカ軍基地に頼った姿は終わりにしたかったでしょう。
また、沖縄の世界に誇れる貴重な自然環境もこれ以上破壊されることは、心が痛んだと思います。
それは自民党時代からずっと持っていたものだと思います。
いろいろと政治家として頑張ってきたけど、結局変えることが出来ていなかった。
アメリカ軍関係者による事件や事故、そして最近ではオスプレイ事故が沖縄県民を危険に晒しています。
終戦後から実は何も変わっていないという現実を直視し、自分の世代で本当に終わりにしたいという気持ちが大きくなったのだと思います。
☆死を覚悟すれば自分自身に忠実になれる
日経新聞の記事によると、すでに2006年には胃がんにより全摘手術をしているそうです。
その時はもう56歳ですね。
体力の衰えも徐々に感じ始めていたと思います。
ましてや大手術ですから、闘病生活を経験し、死というものを身近に思ったかも知れませんね。
そして60歳を過ぎると時間の経つのがますます早く感じるようになります。
翁長知事も残された時間は少ないことを強く感じたのではないでしょうか。
2014年の沖縄県知事選挙に出るまでの数年間は、自分自身と向き合い、心の原点を問い続けたのではないでしょうか。
本土復帰をしてからも沖縄の実態はあまり変わっていないことに悩んだのかも知れません。
そして自分のやるべきことを原点に戻ってやってみようという気持ちになったのだろうと思います。
ガンと闘いながら残された人生を沖縄県民のために信念を貫こうとした姿には心を打たれます。